ヨコハマタイワ特別編でした

第15回という回数とは関係なく、特別編を開催しました。その感想です。(長文です。)
※2/7にちょっと追記しました。(PDFで着色されている部分です。)

PDF:yokohamataiwa15-2

昨日はヨコハマタイワ特別編ということで、朝から晩まで哲学対話してみる、というのをやってみました。
朝10時から夕方5時まで、休憩時間を除いても5時間以上対話するという、いかにも疲れそうな企画です。
そんなに人気がないだろうと12月のうちに過去に参加した皆さんにメールを一斉送信したところ、サイトには掲載していないのに、その日のうちに6名の定員が埋まりました。キャンセルがあれば、という方も数名いたので、皆さん物好きだなあ、とびっくりしました。こういうニーズって結構あるのかも。

こういうのをやることにした動機としては、哲学プラクティス連絡会という哲学対話の実践者の交流会みたいなのでソクラティック・ダイアログ(SDとか、NSD、ネオ・ソクラティック・ダイアログとかとも言われますね)という、海外の対話手法の話を聞いて、そんな感じでやってみたいな、と思ったのがひとつ。
もうひとつは、哲学カフェ界隈でよく言われる、哲学カフェはもやもやして終わるのがいい、というような話に違和感があって、じゃあ、とことん決着つけてやろうじゃないか!という思いつきです。

横浜市開港記念会館のいつもの会議室で10時スタート。だいたい皆さん、ギリギリかちょっと遅刻で来るのに、こんなに朝早くに全員揃うなんて偉い!今回は遅刻しちゃダメ!としつこく案内しただけあったな。やればできるんじゃん。
(いつもは遅刻しても全然大丈夫ですよ~)

こういうガチな感じって、どちらかというと男性からニーズがあるのかな、と予想していたけど、実際は6名中で5名が女性。あんまり性別は関係ないのかも。
過去の参加者向けに案内していたから、だいたい、お互いになんとなく知っているようだったので、簡単に自己紹介して、「人生」をテーマに対話スタート。

まず、全員に「人生」をキーワードに疑問文を作るかたちで、テーマの候補を挙げてもらいました。僕からの例文は「ワン(犬)生とニャン(猫)生は何が違うのか。」というもの。
全員にひとつずつ候補を出して、そのテーマの意味を説明してもらいました。
ここで加えた工夫その1が、ある人が上げたテーマ候補について、別の人に説明してもらう、というものです。
やり方としては、全員がお互いのテーマ候補を理解したことを確認したうえで、左隣の人に、右隣のひとがテーマ候補についてどのような説明をしていたかもう一度説明してもらいました。
説明できていなければ不正解となり、説明できるまで誰かの説明をすることになります。
うまく説明できたかどうかより、お互いの話をしっかり聞くような感じをつくるのに役立ったと思います。
なお、この工夫は、哲学探偵さんという方が進行をした哲学カフェでやっていたことをアレンジしたものです。哲学探偵さんありがとう。(一応事前承認はもらっています。よね?)

それぞれのテーマ候補についてじっくり時間をかけて話したので、自然とテーマが絞れてきて、「何があれば人生に満足できるか。」をテーマとすることに全員合意で決まりました。
これまで、ゼロから問い出しをして、そのなかからテーマを決める、というのは何回かやったことがあるけど、最終的には多数決となっていたのですが、こんなふうにすっきりと決まったのは初めてで、ちょっと驚きでした。
いつもは30分くらいでやるところを、2時間以上もかけるとさすがに決まるんだなあ。

お昼を食べに行くお店の都合上、時間調整して、少しテーマについて話して12:45からお昼ご飯。
1回トイレ休憩を入れたけど、2時間45分、お疲れ様でした。
お昼は、おしゃれ自然派おふくろの味定食みたいなお店。みんなで定食を食べて、また同じところに戻るというのが、なんとなく合宿感。

14時から再開し、いわゆる哲学対話タイム。細かめに話の展開を確認するようにしたこと以外は、いつもの感じかな。
けど、反省点としては、さすがに2時間半話して、おなかいっぱいになると、この時間は眠くなる。もう少し余裕を持ったほうがいいかも。皆さん眠くなりそうなところ、がんばっていただきました。
15:30頃になり、いったん、全員に紙を配り、現在の「何があれば人生に満足できるか。」に対する答えを書いてもらいました。
皆さんのご意見を書き残しておくと、「自分の本当に望むものを理解し、それを実現するために努力すること(高望みしないこと)」「自分のことの認知能力・メタ的に見る能力・選択でき(認識を変え)実行できる力・意味付けできる力」「自己肯定感」「自分自身でポジティブに選びとっている“感覚がもてること”・他者に排除されていない“感覚がもてること”・自分自身で求めていることが自分でわかっている“感覚がもてること”。」「自分が何者であるかは自分が決める byフレディ」「自分のやってきたことや価値観をつねに検証すること。かつ(他者に)排除されない。」といった感じ。

あと1時間で、この皆さんの意見をまとめ、なんとか到達点を確認したいと思い、ここからは少々介入。
主に2つの整理をしました。ひとつは、他者との関係に着目した意見と、自分自身に着目した意見の違い。もうひとつは、努力・検証といったプロセスを重視した意見と、能力・感覚といった結果(そのときは結果と言ったけど、属性のほうがいいかも)を重視した意見。
ちなみに僕はプロセス重視のほうに近い考えだったのですが、よく考えると、プロセスと属性(結果)の違いは視点の違いによるのではないかと思いました。人生というものを俯瞰して捉えるならばプロセスが重要となり、人生をこれから実際におくるものとするなら属性(結果)が重要となるという感じ。

そこで、今回は自分自身の人生を考える、という同意があったことを踏まえ、テーマを「これから、ぼくたちが満足した人生を生きるには、何があればよいか。」に書き換えさせていただきました。これなら、属性の話に絞れると思ったので。
なお、「これからの僕たちの人生」に絞ったとしても、属性(結果)というより、決意では、という話もあり、確かにそうだとも感じました。
(これは時間切れで全員の同意に至らなかったので最終的なまとめには反映されませんでしたが。)

そんなこんなで、かなり僕の無理やりもありつつ、最終的にまとまったのが「これから、ぼくたちが満足した人生を生きるには、何があればよいか。」という問いに対する答えは、「他者に排除されていないということなどを前提として、今の自分の違和感に正直になり○○する。」というものでした。
「○○する。」となってしまったのが少々残念ですが、いい感じでまとまったのではないでしょうか。
なお、まとまらなかったのは主に社会やコミュニティとの関係をどう考えるのかという点です。よい社会にしていくというようなことと自分に正直になることとは重なるのではないか、という意見について合意がとれなかったということです。

また、「○○する。」となってまとまらなかったのは、違和感を正直に受け止めたうえで、どう行動するのか、ということが合意できなかったからです。しっかり検証して行動すべきではないかという意見と、感じたうえで、もっとゆるく対応してよいのではないか、という意見との違いがありました。

ここまでで、16:55。17時までしか使えない会場なのでバタバタと撤収。(みなさんが書いた紙を回収するのを失念していたことに気づきショックでしたが、後日、皆さんにメールで画像を送ってもらい、ほぼ書き残すことができました。よかった。)

そして、全員参加強制で18:30まで飲みながら反省会。皆さん楽しんでくれた感じでよかった、よかった。けど、皆さん結構疲れている感じでした。僕も、飲んだら急に疲れが出ました。
ダメ出しでは、やっぱり時間が足りないので、事前にテーマ設定して問い出しは省略しては、という意見がありました。僕は問い出しが好きだから、そこは譲れないので、次は二日間でやろうかな(笑)
あと、テーマ候補で「どうなったら平等ということになるのか。」というご意見もあったので、そういうのでやろうかなあ。(僕の興味から外れているので、こういうテーマはなかなか思いつかないのでありがたい。)

振り返っての感想としては、疲れるけど、もっとやってみたい、というのがまず思いました。
人数は、今回の6人くらいがちょうどよかったかな。
あと、じっくり進めるため、途中で整理したり、進行役の介入を多めにしたんだけど、そうすると、僕が参加者として意見が言いにくくなるかも。まあ、最後の1時間は、色々言えたのでOKとしよう。

あと、結論を出すのはこんなに面白いというのも発見でした。今回みんなで出した結論は、僕にはかなり刺さりました。
僕なりに続きを書くなら、

Q:これから、ぼくたちが満足した人生を生きるには、どうすればよいか。
A:他者に排除されていないということなどを前提として、これまでの自分を肯定して認めてあげて、今の自分の違和感に正直になり、楽しめる範囲で、その違和感を検証し、行動することを自分自身で決意する。そして、その結果がどのようなものとなっても、納得して受け止める。なお、このような人生は、共同体にとってよい人生とも重なるかもしれない。

追記したことは、僕自身が思いついたというより、参加者の皆さんの言葉を僕なりにパッチワークしたものです。
どうですか、なかなかいい線いっている気がしませんか。
少なくとも、僕は、これから、人生のことを考えるときに、この言葉を思い出しそうな気がします。

あと、終わって数日経って思い出すのが、いつもの哲学カフェより仲間感があったなあ、ということ。長時間やって、お昼をみんなで食べたのもよかったけど、形に残る結論を出したというのが進行役としてはとても印象的でした。
大げさに言えば、この結論とは、とても小さいけれど、確かにここにある真実だと思うのです。誰か一人が抜けていたとしても、誰か一人が加わっていたとしても、きっと違う結論になっていたと思うけれど、この7人で1日かけて話して、ここにたどり着いたということだけは揺るがない事実じゃないか、という意味で。
そして、この仲間感とは、他の人には伝わらないだろうけど、この7人だけはこの真実を共有しているという奇跡のことなのではないか、とも思えるのです。

僕だけが変に熱くなっている気がするし、他の参加者の方はここまで思わないかもしれないけれど、こんなふうに思えるのは主催者&進行役冥利に尽きるなあ。

これなら、結論を出す部分をもっとじっくりやってみたいかも。そうするともっと時間が必要だなあ・・・

とにかく、皆さんお疲れ様でした!
僕は、2、3日、疲れが残りました・・・

    ヨコハマタイワ特別編でした” に対して2件のコメントがあります。

    1. Furukawa kyo より:

      懇親会も含めて8時間以上の長丁場の対話が成功した例ですね。
      話題も、誰にでも考え易い「人生」というのが良かったと思います。
      文章、イチローさんらしく解り易いのもいいです。
      私も都合があえば、参加申込みますので、その節は宜しくお願いします。

      1. ichiro より:

        ありがとうございます。
        元気なときにまたやりますので、お手柔らかにお願いします(笑)

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