ヨコハマタイワ29を開催しました

昨日、ヨコハマタイワ29を開催しました。

前回の反省から、今回は少な目の人数でやりたいと思って8名で募集したら満席になったけど、体調不良によるキャンセルなどで結局4名の参加でした。

僕自身、少し前まで咳が止まらなかったし、風邪が流行ってるのかな?

僕自身は、気兼ねなく発言できるので、このくらいの人数もいいな、と思いました。

 

テーマは、事前告知のとおり『真面目ですよね、って誉め言葉?』でした。

2時間のうち、前半1時間で、真面目とは、①ルールを守ること、②真剣(真摯)であること、の二つの意味があるんじゃない、っていう話になりました。

その時点では、お、今回は結論まで行くかな、と思ったけど、そうは問屋が卸さず、真面目には③ノリが悪い、っていう意味もあるんじゃない、という話が出て、そこからはグダグダ。で、時間切れで終了。

 

けど、このグダグダがいいんですよね。参加者からのふとした発言が、あの話にもこの話にも絡んできて、何の話をしていたかさえわからなくなってしまう混乱。

僕自身は、「場面ごとに適切な真剣度合いに違いがあって、その場面に適切な度合いよりも過剰に真剣になることが真面目である」っていう方向に答えがありそうな気がしました。けど、過剰に真剣にふざけることもできるし・・・一筋縄ではいかない・・・

 

僕にとっては、もうひとつ、「真面目」自体には関わらない話として、次のようなやりとりがあったことが興味深かったです。

 

参加者A「真面目という言葉には、世代間で違う意味があるのでは。」

僕「哲学カフェというからには、世代間の違いを乗り越えるような、真面目という言葉の普遍的な意味を探るべき。」

参加者B「外国には、そもそも日本語の真面目に対応するような言葉がないのでは。」

(実際は、参加者Bの発言は別の場面でのもの)

 

確かに、英語のシリアスと日本語の真面目はそもそも違いますよね。そうだとしたら、世代間でも、「真面目」という言葉が全然違う意味で使われていてもおかしくない。

多分、「砂糖が甘い」とか「雪が白い」といった言葉は、世代や国による違いはないけれど、「真面目」とか「(前回のテーマだった)対等」とかといった言葉は、世代や国によって違いがある。なぜなら、「真面目」というような言葉は、色んな意味を持った「複合的な概念」だから。「甘い」「白い」のような単純な概念と「真面目」のような複合的な概念の違い。

そんなことを考えました。

 

けど、じゃあ、「真面目」のような複合的な概念を哲学カフェで扱うと、「世代や国によって意味に違いがあるよね。」となって、話がそこでおしまいになってしまうかというと、そうではないと思います。

例えば、対話を通じて、日本語の真面目には、①ルールを守ると、②真剣という二つの意味があるけど、英語のシリアスには、①ルールを守るという意味はなくて、②真剣という意味しかないよね、と言葉の間にあるずれを確認できる。そのうえで、シリアスにも真面目にも共通する「真剣」とは何か、と対話を進めることができる。そんなふうに思ってます。

(これは、あくまで一例で、ほんとに英語のシリアスがそういう意味かどうかは知りません。)

だから、丁寧に対話をすることで、どんな場合でも話を先に進めることができるし、対話を楽しむことができると思います。

 なんてことを考えました。

 

最後に、次回は30回記念で、丸一日でやりたいな、と話したけど、会場の都合で、丸一日は予約できませんでした・・・残念。

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