祝ヨコハマタイワ30回目開催でした
今日、ヨコハマタイワ30をやりました。
ようやく30回目の開催でした。
一番古いブログの記事によると、第3回を2017年5月にやってるみたいなので、8年近くかかって30回。
年単位の活動休止期間もあったから時間がかかったなあ・・・
ということで何を言いたいかというと、いつ飽きて活動休止しちゃうかわからないですよ!とあおって希少価値を高めときたいだけです。
是非是非、お時間があるときにお越しください。
ということで、記念すべき30回目は、横浜港の見える丘公園のイギリス館でやりました。
僕は音が響きすぎる部屋は苦手なんだけど結構よかったかも。坂の上なので行くのは大変だし、予約手続きも面倒だけど、また使おうかな。
午前中の坂の上にも関わらず5名の方に参加いただきました。
(お申込みは9名だったのですが、体調不良等でキャンセル多めでした。)
僕的には6名がベストなので、結果的にちょうどよかったです。
そのうえ、うれしいことに、そのうち3名が哲学カフェ自体に初参加!
哲学カフェが好きになってもらえるよう頑張りました。もし、僕のところがダメでも哲学カフェは嫌いにならないでください!
テーマはその場で決めるかたちで「不老不死になったら幸せなのか?」でした。
正直、このテーマに決まったときは「お!」と思いました。
大人の哲学カフェでは、こういうSFっぽい抽象的なテーマより、人間関係とか社会的で実生活に密着したテーマのほうが人気があって、実際、ヨコハマタイワでもやることが多かったので。
実は、僕はこういうテーマが好きなんだけど、あんまり、こういうテーマで進行した経験ないなあ、という期待と不安が混じった「お!」です。
更に、今回は、5名のうち3名が哲学カフェ初参加者だし大丈夫かな・・・なんてことも考えての「お!」かも。
けど、やってみると、そんな不安は全くの杞憂で、かなり、いい感じで話が進みました。
そんなこんなで1時間半後には、「不老不死と幸せはあんまり関係ない。」という、参加者間での(ほぼ)共通の答えにまでたどりついちゃいました。
(そうじゃない、という参加者の方からの指摘があれば是非。)
まあ、結論はともかく、生と死、人生、幸せ、といった大問題をバシバシなぎ倒していくような、かなり濃い話ができたように思います。
個人的には、もし何かの拍子に不老不死になっちゃったときの心構えができたのが収穫でした。
きっと不老不死になると、人生がずるずる続くことによる「飽き」への対処が問題になるけれど、それに対しては、「この100年、次の100年というように、自分で自分の人生に区切りをつけることでメリハリのついた人生が送れる」というアイディアは結構重要じゃないかな、なんて。
これは進行役としての自分のためのメモだけど、こういう抽象的なテーマについては、参加者間で同じような問題をイメージできるようにすることが結構大事なんだな、というのが気づきでした。
例えば、不老不死になるとはどういう状況なのか(事故に会っても死なないのか、病気にはなるのか、などなど)、とか、不老不死になることの個人への影響と社会への影響のどっちに着目するのか、とかは丁寧に確認して、どちらか決めたほうがいい。そうしないと、参加者がそれぞれ全然違うことをイメージして、話が嚙み合わない可能性もある。なんていう話。
そういう意味では、参加者の皆さんのお陰もあり、今回はうまく整理できたんじゃないかな、と思います。
あと、話が空想世界にぶっとんでいくのも楽しいけど、時々は戻って、そもそもの問題を確認するという、行きつ戻りつの進行が、実生活に密着したテーマの場合にも増して重要かも。
終了後は、参加者全員とプチ哲学ウォークをやって帰りました。
(一応、哲学ウォークを知っている方向けに書いておくと)
こちらでお題を準備するのではなく、参加者相互でお題を出してもらって、シャッフルしてそれぞれに渡し、普通は1時間くらいやるところ、10~15分くらい、イギリス館から港の見える丘公園を下る感じでやりました。涼しくて気持ちよかったです。秋と哲学ウォークは合うかも。
そこでも結構いい話が聞けました。僕的には、今日のテーマの続きで、「天国が抽象的な描写がされるのは、天国というのが人それぞれの理想が込められる場だから。」というような話があったのが心に残りました。
終了後は、参加者の中の有志?2名と中華街でご飯を食べました。日曜日の中華街は混んでました!
こう振り返ってみると、30回記念にふさわしい、濃い半日だった気がします。
(帰ってお昼寝しちゃいました。)